edoikiスポンサーリンク

今から約350年ほど前、1659年の江戸には現在の消防組織の始祖である「火消」という制度がありました。現在の出初式の起源も、この江戸時代の火消しに端を発します。

それでは、この江戸の火消しに詳しく迫ってみましょう。

江戸では町火消と武家火消、定火消という三つの火消しがそれぞれ防火に当たっていた

火消は、当時の江戸幕府が正式に発足させた公設の消防組織であり、江戸市中で起きる火災に対応していました。この火消には、町人で構成された町火消と、武将で構成された武家火消、定火消があります。これら江戸の火消しは合わせると1万人近くおり、大規模な消防組織として江戸の防火と火災鎮圧に活躍していました。

武家火消

江戸城と武家屋敷を専門に消防作業に従事するのが武家火消です。

定火消と臥煙(ガエン)

定火消は明暦の大火を機に作られた武将による消防組織です。そしてガエンは旗本に指揮されて現場で消火を行うという人足です。消火作業中は、はっぴ一枚フンドシ一丁というい出立ちで、恐ろしく気が荒いことで有名です。彼らの身体には鮮やかな彫り物が入っており、真冬でもはっぴ一枚で出動します。このガエンたちの睡眠からの目覚めはかなりショッキングな方法でよく知られてますが、ガエンたちは長くて丸い木を枕に寝ます。そして火災が発生すると不寝番をしていたガエンが、木の枕を思い切り木槌でたたき、その音と振動でガエンは全員跳び起こされます。彼らガエンも多数殉職しており、彼らを葬るためガエン寺が設けられました。

町火消

0-46町火消は南町奉行の大岡忠相がつくったと言われています。町火消たちは普段は鳶や大工などに従事しており、土木の技術を消火作業に活かしていました。実に気性が荒いために火消同士のけんか騒ぎが絶えず発生しました。火消したちには組がいろいろあり、それぞれ名前を持っていました。これが享保5(1720)年に作られた、「いろは四十八組」です。火事を鎮圧した火消の組に幕府から褒美が与えらえることになっていたので、現場の取り合いのために消火そっちのけで、他の組と喧嘩をする、いわゆる「消口争い」も日常茶飯事でした。

江戸時代の消防道具。消火方法は「破壊消火」だ!

ひとたび、火災が発生すると、詰所の半鐘が激しく打ち鳴らされ、次いで全身に墨の入った火消したちが自分の着ている刺子半纏という厚い生地の半纏に、夏だろうが真冬だろうが水をぶっかけて、よく吸わせ、それから道具を手にしてオラオラ節で出動します。火災現場に到着すると、真っ先にやることは自分の組の木札を現場近くの民家の軒先に吊すこと。消火はそれからです。この当時の消防の七つ道具と言えば・・・・

燃えないように水分の含んだ青竹で出来た梯子

0-44

屋根の上で目印に振り回す纏(まとい)、

0-43

火の粉を振り払う大団扇

0-42

木製の小型ポンプ「竜吐水」、それに水を補給するための玄蕃桶、

0-41

そして家屋を打壊すための鳶口と

0-45

刺又(さすまた)といったものです。現代では消防署の地図記号にこの刺又を用いるなど消防と言えば、刺す又というイメージが生きています。なお、警察でもさすまたを使用しています。

0-50

当時の消火方法は、火元より風下の家屋を取り壊して延焼を防ぐ、破壊消火という方法が一般的でした。従って、放水による消火作業は限定的なものでしたが、補助的に木製の小型ポンプ「竜吐水」を使って放水を行うこともありました。しかし、その役割は火消の体に水をかけるなどの運用が主であったようです。

纏持ちを焼けば末代までの恥だ!

0-48彼ら「め組」が持っていた纏は、組によって意匠が違っています。現代の感覚で言えば、火災現場の屋根で纏を派手に振り回す”纏持ち”という役には何の意味があるのか奇異に思えてしまいますが、実はあれにもレッキとした必要性があるんです。まず第一の目的は士気の高揚。第二が火災現場の目印。しかも、この纏持ちはわざわざ燃えている家屋の風下の民家の屋根に登って纏を振り回すのが決まり事です。火消したちは纏を焼かぬように、必死になって消火に当たるわけです。ところで、この纏、「い組」のもにはケシの実と升の図柄が入っており、「消します」とシャレっ気を出していたそうです。消火作業を終えると、何処の組が消火を行ったか幕府が木札を確認し、消火に当たった組へ褒美が支給されます。中には、こっそりとこの札をあとから自分の組のフダに取り替えてしまう火消もいたようです。そういうわけで、屋根の上に登って纏を振り回すのは、士気の高揚や火災現場の目印のほか、最初にどこの組が駆けつけて消火に当たったかを町民に広く知らしめるという重要な目的があったわけです。決して、雨乞いの踊りを踊っているわけではありやせんぜダンナ。

 


スポンサーリンク